イノベーションを目的化する間違い

 もうかれこれ10年ほど、多くの日本企業はずっと「イノベーション」が最重要課題だとしている。特に製造業ではそのきらいは強い。

 また同時に、製造業の経営理念やアイディンティティは言葉さえ違えど、「モノづくりによって、社会に貢献する」というような内容のものが多いように思う。
製造業の考えは、「良い物を作る(創る)」(イノベーション)ことで、「社会が豊か」にする、つまり全体をプロセスとして考えている。いい商品を作るための製品イノベーションや技術イノベーションが、やがて市場で受け入れられて自社の発展と社会貢献を促す、という「順序」で理論体系が出来ている。そのためイノベーションは(少なくとも製造業では)、経営の第一命題に近い。
 何より、自分もメーカー勤務なのでそのあたりの思想は「文化」として脈々と共有されていることを実感する。

 だが、実はここに大きな落とし穴があると思っている。

 このような論理で数十年来考えてきたため、日本企業は「モノづくり」言い換えれば「push-out」の発想がどうしても抜けない。イノベーション的なモノづくりで発展・貢献しようと思うがあまり、何かを生み出すことに注力しすぎて、何のためにイノベーションを起こす必要があるのか?という議論が無いまま、何か新しいモノを生み出そうとしている。つまりそこでは、人間の社会を豊かにしたり貢献するために商品やイノベーションがあるわけではなく、何か製品などを生み出そうとする作り手側の満足でモノづくりをしているに過ぎない。「いやいや、ちゃんとマーケティングしてますよ」という声も聞こえそうだが、実際にはマーケットサイズの計算をROI算出のためにしている程度か、やると決めてから数社程度にリサーチした程度が多い。

イノベーションは、人類の発展や社会に貢献するための“手段”であって、個企業の業績を上げたり雇用を生むための“目的”ではない。
一企業単位、もしくはその企業の中の組織の存続目的の意識レベルでイノベーションに“固執する”ことで、逆にマーケットや社会課題から遠ざかってしまい、無駄な資源を浪費している可能性もある。これではメーカー企業の独りよがりといってもいいくらいだ。

何のために「モノづくり」の必要があり、「イノベーション」が必要なのか...
そこからイノベーションを本来の広義の意味で捉え直し、社会的や全人的発展と課題解決のために必要なことは何かを真剣に問う...

企業(特に製造業)が問われるのかここである。
イノベーション」を“目的化”することは、企業の身勝手である。更に“手段の目的化”は手段自体に「正当性」を持たせてしまうため、その中身について議論を問われることも減ってしまう。

何のためにイノベーションを生み出す必要があるのか...

この文脈に対して、自己都合や自身の利益を超えたレベルで腹に落とさないと、いつまでたっても手前味噌な“モノづくり”企業の国家のままなのであろうと思う。

 

「自発型」へのマネジメント

「仕事は、自分で考えて見つけるもんだ!」「“自発型”“自走型”でないといけない」...

巷では良くこう言われます。私は以前は団塊の世代の方の先輩がたくさん居まして、彼らの話を聞くと、上記のような考えで成功したり、ビジネスを切り開いてきた方がとても多いです。

これは、市場や製品・サービスが複雑化した現在にはもっと言えること。プロなら、いえプロならずともこうした働きじゃないと駄目だと言われます。

でも、ちょっと待てよ、と。

一方では、マネジメントでは「選択と集中」「効率化」が叫ばれて久しい。内部統制も本来的には「戦略実行として機能しているか?」が基本ベースにあります。つまり、マネジメントは無駄を省こう!集中させよう!という考えが根強い。「その施策は経営戦略に合っているか?」なんていうのは、もはやマネジメントでの日常会話です。

皆がいろんなことを「自発的、自走的」に考え動いても、マネジメント側は「無駄」と見なすことがむしろ昔より増えているんじゃないだろうか?特に、業績が下降しつつある企業において、戦略の基本考えを「集中」ではなく、「多様・分散」でシフトすることは困難でしょう。

この視点で考えると、「自発・自走」というのは、何か踊らされている気さえしてきます。

だけど、やはり仕事は「自発的」「自走的」でないといけないと思います。人に言われてやる仕事だけでは発展も無く、モチベーションも低い。
とすれば、やはりマネジメント側が、こうしたたくさんの「自発」を受け止められる覚悟が必要になります。風土や仕組み等で、「多様」と「効率」を共存させなければなりません。

やはり革新すべきは、“マネジメント”だと思っています。それはもちろん、経営者のみが担わなければならないものではなく、経営企画部員やマネージャ等の社員からコンサルタントや学者まで考えたいテーマだと思います。

「ソーシャル・リーマンズ」について考える

この度、大手企業の方2人と一緒に、初のコラムを書くことになりました。「ソーシャルリーマンズが行く(仮)」というタイトルです。(詳細は後日ご案内します!)

ソーシャル・リーマンズとは、Social + salaryman の複数系という我々が作った造語です。もちろん、来年の流行語大賞を狙っていることは言うまでもありません(笑)。
ソーシャルなサラリーマンとは、一体どういう人なのでしょう?簡単に言えば、「会社人だけではない社会人であるサラリーマン」 なのですが、イマイチそれではイメージできないと思います。元々造語であるくらいですからそきちんとした類型があるわけでもありません。
ただ、今後コラムを書く3人は、企業人でありながらソーシャル活動に興味を持って活動していることは共通しているのですが、細かく見るとそれぞれのスタイルがあることに気が付きました。
そのスタイルをご紹介して、少しイメージして頂けたらうれしく思います。

●:ソーシャル・ストラテジスト

今、BOPビジネスなど、より社会的課題にビジネスの視点から挑もうとするアプローチが注目されています。グラミン銀行元総裁、ムハマド・ユヌス氏や、「コアコンピタンス経営」等の著者、故P.K.プラハラッド氏等が提唱し大きく広がりを見せているこのBOPビジネスは、ビジネスの力で社会問題を解決する有効性を広く世界に知らしめています。
そしてそれは、本来のビジネスのあり方をも問う、大きな変革テーマと捉えています。

そうした観点から、ソーシャルビジネスの戦略を、企業人(サラリーマン)の立場から描き、実践しようとする人、或いはその観点で新しい枠組みの団体に参加しようとする企業人、等を尊敬の念をこめて、私はソーシャル・ストラテジストと呼んでみることにしました。 ソーシャル・ストラテジストは、企業から社会善に向かうアプローチをビジネスとして実践する企業人(サラリーマン)である、というように定義できるかと思っています。

●:ソーシャル・ジャンパー

一昨年より、日本でも話題になり、昨年より少しずつ広がっているプロボノという新しいボランティア手法が広まってきています。プロボノとは、自身の持つスキルや専門性をビジネスだけではなく、社会貢献にも活用していこうとする活動のことで、ボランティアの一つと言うことができます。今年起こった3.11東日本大震災後、ボランティア自体に興味をもつ方も増えた一方で、単なるボランティアではない、より社会貢献を意識したビジネスマンが、自身のスキルを活用したボランティア形式であるこのプロボノに関心を寄せる事例も増えてきています。

こうした、社会人でありながら、ボランティアやプロボノに積極的に参加する、或いはNPO等の社会貢献組織を設立や参画するという働き方は、勤務する企業と社会貢献に関わる団体の間を自由にジャンプし複数の顔を持つということから、こうした方を尊敬の念をこめて、ソーシャル・ジャンパーと呼んでみることにしました。
昔から、企業人でありながらボランティアする、と言う方はいらっしゃいますが、プロボノ(自身のスキルを社会貢献に生かす)という考え方が、今後、ソーシャルジャンパーのあり方を変えていくのではと期待しています。

●:ソーシャル・インフルエンサー

今は社会起業による社会貢献がより大きなテーマとなり、一部には、「非営利や社会起業のやり方をビジネスに学ぶ」という考えも出てきています。前述のソーシャル・ジャンパー等の方やボランティア経験者がビジネスの世界、特に自社のあり方に大きく影響を及ぼしていくことが考えられます。今後の企業内におけるチェンジリーダーにおそらくこうした「ソーシャルな」考え方や発想を引き込むことが重要であり、それをもって企業の中を変革する。更には、そうした企業が次のソーシャルストラテジスト等を輩出していく...。

そんな、企業にソーシャルな風を吹き込んで影響を及ぼしながら、企業自体を変革する。又その企業が今度はビジネスに社会善を盛り込んで実践する...。こういう循環モデルが出来ていくのだろうと思われます。この仕掛け人に敬意と期待をこめて、ソーシャル・インフルエンサーと呼んでみたいと思っています。


以上、3つのパターンを取り上げてみました。
ソーシャル・リーマンズが全てこの3つのどれかに当てはまるわけでも、或いはどれかが優れているわけでもないと思っています。ソーシャルリーマンはまだ世に出始めたばかりです。上記のように類型を行うことは、ソーシャルに向き合ういくつかのスタイルを明確にしてお互いを認め合い、協力して新しい価値を創出するための目安となればと言う思いです。

サラリーマンでありながら、ソーシャルに関わり、企業や社会を変革する担い手になる。それはサラリーマンのあり方を変える変革にもなるかもしれません。是非、みなさんも一緒に、「ソーシャル・リーマン」像を一緒に考えて頂けたらうれしいです。
 

国策としての社内ベンチャー促進:後編

社内ベンチャーとは、一体どのようなものなのでしょうか?

グロービスのサイトから引用すると、次のような定義になるそうです。
「大企業内で、あたかも独立企業のように新規事業を実施する部門や組織集団(社内企業家的集団)を作り、その自主的な新事業創造の活動を、本社が全面的にバックアップしていく組織のこと。(中略)、1)新規事業への進出 2)チャレンジ精神を持つ人材の育成 3)社内の既存資産の有効活用などの目的で、社内ベンチャーが実施される。」

見ていただくと分かるとおり、今の「社内ベンチャー」は、全てその企業の裁量や問題意識によってのみ行われるという事が出来ます。言い換えれば、本業でうまくいっている会社がする必要はないし、何か国や公的機関からの援助があるわけでもありません。ですから仮に成功したとしても、自社の事業ポートフォリオに組み込んでいい。この点で、「これまでとちょびっと担当を替えた商品企画」ということも出来るかもしれません。

勿論、これを否定するつもりはないのですが、産業界をもう少し大きな目で見てみると、日本の大企業はその責任を全うできていないのでは?と言いたくなるような(大企業に起因する)社会・経済問題があります。

・「優秀な人材は企業側に多く雇われており、その殆どは副業禁止であること」
・「一方で、若手等の採用は経済情勢や利益を理由に抑えられがちであること」
・「自社の事業ドメイン以外の事業や、規模感の合わない事業(例えば1兆円企業で年商3億円のサービス事業など)は実行させない」
・「本業の儲け部分について、事業への再投資や乗数効果の薄い利益配分がなされてしまう(株式持合い先への配当など)」

こうしたことは経済・雇用的に大企業が起こす一種の社会的な非効率なようにも思えます。

日本がイノベーションをもっと促進させる、起業を増やし雇用を増やしていく。優秀な人材が自信を持ってビジネスや社会課題に取り組む...
そのためには、日本のリスク観にあったアントレプレナーシップの拡大が必要かと思います。国家として、「社内ベンチャー」を促進させていこうと言う考え方、つまり『イントレプレナーシップの国策(官民一体)化』というものでしょうか。


先ず、大手企業は「社内ベンチャー制度」を設けることを努力義務化します。これは、自社の新規事業開発の仕組みを少し変えれば良いわけですし、すでに取り組んでいる会社も多いでしょうから、大企業にとってそんなにハードルの高い話ではないと思います。
この社内ベンチャー制度は、自社の事業ドメインと関係ない事業になる場合に、安易に事業案を却下するのではなく、カーブアウトにより事業化をサポートするようにすることで、「切り出し」を容易にします。これに政府としては補助金を交付するなどして応援する。こういう仕組みによって、社内ベンチャーからの起業にも国が資金的サポートを行うのです。これは社内ベンチャーの母体となる大企業にもメリットがあるでしょう。
もう一つ、もしも社内でそのまま事業化する場合にも、それにより新しい雇用・採用が発生する場合には補助金を交付するなどの制度にします。
これにより、社内ベンチャーは、その母体となる企業と国や地方公共団体の両方が、態様に合わせてバックアップできるようにするのです。つまり、起業のリスクは母体となる企業と国がファイナンシャルリスクを一部負担する考え方です。

もう一つは、起業を支援する側(支援者)についてです。一般的な起業ではVCからのハンズオンやコンサルタントなどが支援者となる場合がありますが、このコンサルタントのフィーも結局は、起業者の経費やリスクマネーになるケースが多いようです。
そこで、このコンサルティングやハンズオンについてはメニュー化して、日本に多くおられる有識者やコンサルのプロボノ団体が行うのです。勿論、こうしたベンチャーや中小企業向けの有料コンサルティングで優良なものは多く存在しますが、資金の乏しいベンチャー(社内外を問わず)については、一定期間を無償で行うボランティアサービスも必要です。
そしてこうしたプロボノの団体については、企業の寄付(ドネーション)や一定期間無償後の有料コンサル等の収入で実施されるのが良いと思います。大手企業のドネーションだけだと大手企業の社内ベンチャーを支援するだけになりますので、様々な資金を寄付で調達するNPOやLLP等の組織で運営するのが良いかもしれません。

手法の一つ一つには精査と工夫が必要ですが、私は起業家に、事業リスクとファイナンシャルリスクのすべてを負わせる構造ではどんなにきれいごとを並べても、少なくともこの国では、リスクテイクして起業するケースは減り続けると思います。
国として官民が持てるものを持ち寄り一体となって、ベンチャーのみならず社内ベンチャーをもドライブさせることにより、20年間逆転している開発業率(廃業が開業を上回っている状態)を正常化して雇用を増やすことが、社会や経済にとってより大きな貢献を生むと思います。

日本に根本的なベンチャー政策が必要と叫ばれて久しいですが、社会や経済のマクロ側面を考えたときには、起業家だけにリスクを負わせる形ではなく、「小さく生んで大きく育てる」仕組みが必要なように思います。
少人数のヒーローを作りたいがためのベンチャースキームは、「美談を生んでも、雇用は生まない」と思います。

国策としての社内ベンチャー促進:前編

facebookのノートに書いた記事をこちらにも。(また丁寧語の語り口です)


日本において、中小ベンチャー企業の活性化や経営革新(これも多くの場合には新規事業創出を手法とする)が叫ばれて久しい。しかし、その成果はといえば、なかなか思うような形で上がって来ていない様に思います。
そこには様々なスキームの問題がありますが、その根幹の一つとしてはやはり新規事業におけるリスクに対する国民性に影響するものが大きいように思います。

日本は戦後、奇跡と呼ばれる復興を経験してきました。それは戦争や災害で焼け野原になるというリスクの顕在化により、皆がそのリスクを共有して受け入れた結果、集団や社会がリスクに直面してそれを克服してきた歴史があります。
しかしそれは一方で、「集団でリスクを負う」という事には強みを発揮するが、「個としてリスクを許容する」ということはあまり経験がないという側面もあるのではないでしょうか?日本は自然も豊かである反面自然災害も多く、また戦争で国土を危機的状況に陥った経験や、あるいは今の原発問題も含めて、国家や社会全体で他国がおよそ受けないであろう国難に直面してきました。
この苦難に打ち勝ってきたのは、「隣の人も苦しいのだから頑張ろう」「私1人じゃないんだ」「皆で乗り越えよう」というリスクへ対処するメンタル性であり、「リスクを個人が負うことは賞賛に値する」「個人の成功を尊う」という社会とはかなり異なるのではないかと思うのです。
つまり、日本では「リスク」は集団で負うべきところからそれを克服するエネルギーが生まれる、そういう経験が多くDNAとして根付いている一方、個人がリスクを負うことには“伝統的に”慣れていないのではないかと思います。

これは「起業」にもいえるのではなかろうか?と思っています。

「日本の中小企業政策は世界一手厚い」と言われ、既にシリコンバレーで多くを学んだ人たちも次々と日本で起業し成功を収めている人たちもいます。筑波や京奈地区、その他の地域でもシリコンバレー化のプロジェクトはありました。優秀な日本の知がここ数年、今も日本のベンチャー開発に尽力しています。

しかしそれでも日本のベンチャー、起業の活性化には至っていないのではないかといわれます。なぜなのでしょうか?

この原因の一つに、上記の「リスクのとり方」の国民性があるのではないかと考えています。

今も、中小・ベンチャーの起業リスクについては、その全てが起業家が負うものと言う認識が強いです。少なくとも当事者の方はその良し悪しはともかく、そうおっしゃる方が多いように思います。
日本では中小・ベンチャーの支援策も、残念ながらそれをある種の「任務感(仕事)」や「経済合理性(ROI)」で行うことはあっても、その基本にあるもの、例えば事業へ投資することへの意義や、融資、支援することのメンタリティは米国のそれとは異なるでしょう。

そこには「仕組み」の違いではなく、きっと、DNAというか国民性の違いがあるように思えます。

DNAが違うのだから、同じやり方をしてもやはり結果に違いが出てしまうのではないでしょうか?
ROIや利息付回収を目標とするVCや銀行は、経済性動機で行動するため、思うような投融資はしないし期待もできない。特に日本の金融機関にはその傾向が強いと聞きます。しかしこれは本家のシリコンバレーでも最近数年の投資案件は回収を意識したチープな案件への投資が多いと聞きますが...
本来出資者や銀行は利子やリターンを求めますが、それ自体は起業家の事業の成功利潤によってもたらされるのだから、結果的には出資者がリスクを負わなければこのモデルは成功しないのではないでしょうか?イノベーション理論で知られる経済学者シュンペーターも、『ファイナンシャルリスクを負うのは資本家(出資者、銀行等)の責務』と言っています。

前置きが長くなりましたが、日本が個人(特に起業家)ではなく「組織や社会としてリスクをとる」 国家である以上、イノベーションや起業の創出もそれにあわせたスタイルが必要かと思います。起業家個人のみにリスクを負わせるのではなく、組織や社会もリスクの主体者となる必要があります(これは当然、出資者である投資家や銀行も)。

日本でベンチャーを活性化して、雇用や産業の発展を促進させる...
その一つの手法が、社内(企業内)ベンチャーではないかと私は思います。

「一人複数社勤務制度」の実現

またまた、facebook上のグループで書いたことを、転載します。

◆会社と個人の雇用契約を見直して、次の変革を実現する。

 ●会社法上の大会社、もしくは中小企業基本法による中小企業に該当しない
  企業においては、就業規則の一人1社制(所謂副業禁止)を法律で禁止し、
  「一人副数社勤務」を段階的に導入する。

 ●企業側にもそのカウンターとして、雇用契約の見直しについての自由
  裁量幅を上げる。(経営が困難でなくとも、同意の上で解雇できる等)

 ●勿論、従来どおり1社のみの勤務も選択可能とする。

                                                                                                                  • -

事例:
某企業A社の経営企画マンB氏のケース
B氏はA社との契約で、ほかに以下の企業と雇用契約をした。
①中堅コンサルティング会社・・・X社 コンサルタント
②A社とは全く異なる業界・・・Y社 経営企画課長

そして、シフトを、それぞれ、
A社・・・週2回
X社・・・週1回
Y社・・・週2回
とした。
B氏は年俸で1000万円だったが、出勤シフトにあわせ、
A社・・・400万円/年
X社・・・200万円/年
Y社・・・400万円/年
で契約した。

年俸は変わらなかったが、各会社の出勤日数が少ないことから、
今まで以上に情報収集や効率的に時間を管理するようになり、結果
としてパフォーマンスが上がった。
また、企業は、抱え込みのコストが減少し、その分で別の人材の雇用
も可能となったため、多様性な意見が収集可能となった...

                                                                                                                  • -

事例は全く作り話ですが、これによって、何が起こるか、どのようなメリット・
デメリットがあるか、次のようではと想定します。

メリット(予測):
・優秀な人材が「囲い込み」されることなく、多くの企業で勤務できる
・個人の仕事が効率化され、パフォーマンスが向上する。
・企業の人件費とパフォーマンスの間の費用対効果が上がる
・ビジネスマン個人のスキル(エンプロイアビリティ)が上がる
・不人気な企業(エンプロイメンタビリティの弱い企業)が淘汰される
・ベンチマーキングが個人レベルで容易になり、競争力が向上
・大企業と中小企業の人材・採用等の偏りの解消
年功序列による高年齢者雇用負担、若年者の機会喪失の解消
ワークライフバランス(多様な働き方)の実現

デメリット(予測):
・リストラの増加→見せかけの完全失業率の改善?
・機密情報の漏洩→産業スパイの温床?
・企業人事部門の管理コスト上昇(正社員もシフト管理?年金、退職金?)
低所得者が増加する→週1しか働けない人も

提案者がデメリットをたくさん書くのは思考的に困難なので少ないですが、色々なご意見が頂けたら幸甚です。

こういう雇用の創出のやり方もあるのではないかと思います。若年層から見れば、就職(社)が一つの「既得権益」とも見えます。
多様性を増すことで、若年層や女性等に多くの就労チャンスを生み出したいです。

被災地の雇用について思う

ちょっと久しぶりになってしまったblog。
とあるfacebook上で参加しているグループで書いたことを加筆して記します。
(いつもと違うですます調になってます。)

 
被災地域の雇用創出には、当然その苗床となる組織基盤(企業、官庁、NPO等)が必要になります。
「組織は戦略に従う」の言葉通り、そこには戦略が必要でしょう。これまでも多くの戦略的な議論があったと思います。

一方では「戦略は組織に従う」という言葉もあります。私は、被災地域ならではの人や産業、コミュニティの持つ強みやニーズをもっと深く理解し、単なるハード的施策ではない、地域のアイデンティティやそこに住む人達の尊厳を重視した産業基盤を構築していただきたいと思っています。
 
いろんなアイディアが考えられますが、そのひとつとして『サスティナブルな経営に学ぶ』という方法もあるのではないでしょうか。
ハード的なものを被災地に置くのも良いですが、その地域の持つ強みを内面から引き出すことができ、それをサポートすることで持続的な産業基盤となるのではないかと思うからです。
 
ご存知のとおり、日本は企業においても世界最高の長寿国であり、特に京都は100年以上続いている会社の構成比(100年企業/企業数)が全国で1位です。
さらに興味深いことに、2位:新潟県、3位:山形県…6位滋賀…10位福島県!であります。(ちなみに、100年企業総数で1位は東京都、京都は4位)
福島あるいは宮城は、こうした近隣県や京都から、サスティナブルな経営を再度学びつつ、彼ら自身が誇りと尊厳を持てるような企業や組織を、雇用の苗床とし
て創出してほしいと思います。
(最近はあまり聞かなくなりましたが、関西広域連合が対口支援制度として被災地県別の支援をしていますが、福島県の担当は「京都・滋賀」というのも興味深いと思います。)
 
100年超企業が世界一多いのは、日本の誇りであり強みでもあります。これを生かした地域施策こそが、日本の集積のあり方でありまた強みだと思います。
そしてその強みは、本来福島やその近隣県、あるいは対口支援先の京都にそのヒントがあります。

こうした観点から、雇用の苗床となる産業基盤構想は、被災地域が主体となって、そこに東京等、都市圏のイノベーティブな知、近隣県や京都等の経営の実践知、等をブレンドさせるやりかたが望ましいと思います。
当然、日本の知を結集することは、グローバルにも影響力があるでしょう。
何しろ、我々日本人は「経営をサスティナブルなものにする」ことは世界一なのですから。
 
現時点で、「サスティナブルな経営とは何か?」を一口で論じることは難しいですが、それを生み出す一つの手法として、KDI野村さんが提唱されているフューチャーセンターがあろうかと思います。
対話により、復興地域におけるアイデンティティや、ハードソフトなアイディアが創出されるのが最大の狙いでありメリットかと思います。
また、以前にWBSワールドビジネスサテライト:TV東京系)で紹介された、『京都100年企業研究会』http://bit.ly/hk7WUf にもその京都のサスティナブルな事業継続のナレッジが吹き込まれているように感じます。個人的にも凄く関心のある取り組みです。

以上、京都生まれの意見です