国策としての社内ベンチャー促進:前編

facebookのノートに書いた記事をこちらにも。(また丁寧語の語り口です)


日本において、中小ベンチャー企業の活性化や経営革新(これも多くの場合には新規事業創出を手法とする)が叫ばれて久しい。しかし、その成果はといえば、なかなか思うような形で上がって来ていない様に思います。
そこには様々なスキームの問題がありますが、その根幹の一つとしてはやはり新規事業におけるリスクに対する国民性に影響するものが大きいように思います。

日本は戦後、奇跡と呼ばれる復興を経験してきました。それは戦争や災害で焼け野原になるというリスクの顕在化により、皆がそのリスクを共有して受け入れた結果、集団や社会がリスクに直面してそれを克服してきた歴史があります。
しかしそれは一方で、「集団でリスクを負う」という事には強みを発揮するが、「個としてリスクを許容する」ということはあまり経験がないという側面もあるのではないでしょうか?日本は自然も豊かである反面自然災害も多く、また戦争で国土を危機的状況に陥った経験や、あるいは今の原発問題も含めて、国家や社会全体で他国がおよそ受けないであろう国難に直面してきました。
この苦難に打ち勝ってきたのは、「隣の人も苦しいのだから頑張ろう」「私1人じゃないんだ」「皆で乗り越えよう」というリスクへ対処するメンタル性であり、「リスクを個人が負うことは賞賛に値する」「個人の成功を尊う」という社会とはかなり異なるのではないかと思うのです。
つまり、日本では「リスク」は集団で負うべきところからそれを克服するエネルギーが生まれる、そういう経験が多くDNAとして根付いている一方、個人がリスクを負うことには“伝統的に”慣れていないのではないかと思います。

これは「起業」にもいえるのではなかろうか?と思っています。

「日本の中小企業政策は世界一手厚い」と言われ、既にシリコンバレーで多くを学んだ人たちも次々と日本で起業し成功を収めている人たちもいます。筑波や京奈地区、その他の地域でもシリコンバレー化のプロジェクトはありました。優秀な日本の知がここ数年、今も日本のベンチャー開発に尽力しています。

しかしそれでも日本のベンチャー、起業の活性化には至っていないのではないかといわれます。なぜなのでしょうか?

この原因の一つに、上記の「リスクのとり方」の国民性があるのではないかと考えています。

今も、中小・ベンチャーの起業リスクについては、その全てが起業家が負うものと言う認識が強いです。少なくとも当事者の方はその良し悪しはともかく、そうおっしゃる方が多いように思います。
日本では中小・ベンチャーの支援策も、残念ながらそれをある種の「任務感(仕事)」や「経済合理性(ROI)」で行うことはあっても、その基本にあるもの、例えば事業へ投資することへの意義や、融資、支援することのメンタリティは米国のそれとは異なるでしょう。

そこには「仕組み」の違いではなく、きっと、DNAというか国民性の違いがあるように思えます。

DNAが違うのだから、同じやり方をしてもやはり結果に違いが出てしまうのではないでしょうか?
ROIや利息付回収を目標とするVCや銀行は、経済性動機で行動するため、思うような投融資はしないし期待もできない。特に日本の金融機関にはその傾向が強いと聞きます。しかしこれは本家のシリコンバレーでも最近数年の投資案件は回収を意識したチープな案件への投資が多いと聞きますが...
本来出資者や銀行は利子やリターンを求めますが、それ自体は起業家の事業の成功利潤によってもたらされるのだから、結果的には出資者がリスクを負わなければこのモデルは成功しないのではないでしょうか?イノベーション理論で知られる経済学者シュンペーターも、『ファイナンシャルリスクを負うのは資本家(出資者、銀行等)の責務』と言っています。

前置きが長くなりましたが、日本が個人(特に起業家)ではなく「組織や社会としてリスクをとる」 国家である以上、イノベーションや起業の創出もそれにあわせたスタイルが必要かと思います。起業家個人のみにリスクを負わせるのではなく、組織や社会もリスクの主体者となる必要があります(これは当然、出資者である投資家や銀行も)。

日本でベンチャーを活性化して、雇用や産業の発展を促進させる...
その一つの手法が、社内(企業内)ベンチャーではないかと私は思います。