マネジメントを学ぶきっかけ

 マネジメントを学ぼうと思ったのは、最初はマネジメント系資格取得という安直なものだったのですが、ちょうどその頃は、ITバブルが崩壊し、どの企業も業績が悪化し始めた時でした。
 その時に、人員削減の記事が新聞を賑わし、勤務する会社でもひとごとではなくなっていました。
 そんな時期に、労働組合の執行委員を務めたことが一つのきっかけとなりました。

 日本企業は、「企業内労働組合」という世界でも珍しい形態であり、組合間の横のつながりもありますが、労使交渉は基本はその会社の事情に応じて、企業内の労使間で行う特性があります。
 交渉の内容は主に賃金や雇用確保の交渉が行われており、それ以外にテーマがありませんでした。今でもそうですが、組合は雇用と賃金以外には何も会社に提案せず権利だけを主張する、まるで駄々っ子のように見えました。自分の仕事に自信のある組合幹部は、「成果主義を導入しろ」とまるで従業員の代表とは見当違いの話もしていたのを良く覚えています。
 一方、会社側も、経営が厳しくなると雇用や賃金を削減するようになり、それ以外のヒューマンリソースの施策も提示されませんでした。(当時は今と違い、社内公募制度も、多面評価制度もありませんでした。ただし、今でもコンピテンシー社員教育の制度は当時から全く充実してはいません。)
 しかも、これらの交渉は全て事前に答えが決まっている、言わば出来レースであり、妥協点がどこかというものでした。


 こんな調子で本当に良いのだろうか?
 会社はいつも「お茶を濁す」だけで良いのだろうか?

 そんなことを当時から考えていました。


 その時に、ドラッカー氏と野中郁次郎教授の書籍に触れ、こんなことを考えるようになりました。

◎経営には、断続的なイノベーションが欠かせない。既にそういう時代に変革していること。
◎二項対立を超えることにより知識創造は生まれ、イノベーションが生まれる。


 企業と組合は、二項対立の領域を超えて、新しい価値を綜合することで、新しい関係性が生まれてくるものと、その時考えたことを覚えています。

 社内には、一見「二項対立」のものがあります。
会社と組合、コストとサービス、上司と部下、営業と生産、etc...
これらは、対立してトレードオフの関係の中でゼロサムゲームを行うのではなく、互いの目的を充足しながら相手の目的も充足するような、“高み”を見出し、そこに目的をセットすべきではないだろうか。そこには単なる技術革新や新規事業という意味よりももっと広義の「イノベーション」があるのではないか、と考えるようになりました。

 それ以来、組合にいながらもマネジメントを学ぶ意義を見つけました。

 そして、将来はコンサルタントになりたいと漠然と思うようになりました。

 続きはまたの機会に...