専門職のジレンマ

 複雑性とスピードが企業の経営現場でますます重要になる中で、企業の人事部門は、これまでの定期的なジョブ(人事)ローテーション制を廃し、部門の中での専門領域の強化としての育成にシフトしてきた。1人が様々な業務をこなさなくてはならない中小企業の人材に比べ、大企業ではこの10年間ほどの中で、より細分化、専門化された領域でのスペシャリストを目指すような施策をしている。簡単に言えば、人事異動は極力控えて現行部署でのより深い専門スキル習得を目指している、と言うことができよう。

 この施策・方向性は、今でも人事部門の教育・育成計画の中では、「むやみな」定期ローテーションよりもよほど業績への貢献に即している、というように理解されている。また、社員側においても、なれない環境で一から新しく知識を習得するよりも、専門性を深めることは好ましいことと理解されている。特に30代以上の社員にとって、キャリアとは無関係な単なるローテーションの異動はとても歓迎できるものではない。そんな風潮もあるためか、人事異動を宣告されることは組織内での専門家への道からの脱落を意味する場合もあった。相対評価を行う組織ではしばしば高得点を与える人員枠があらかじめ決められているため、異動予定者に高い評価を行うこともなかった。
 いつしか異動する社員は(いくつかのケースを除いて)「負組み」とも捉えられるようになっている。

 しかし、このような企業の人事施策は、実は個人のスキルにだけ焦点を当てた狭い視野での話であり、個人が組織との関係性の中で成長しプロフェッションを学ぶ課程とは、実は全く相反するものである。
 むしろこれまでの考え方や施策は「近視眼的」であり、社員や組織の成長を阻害している可能性が高いと考えている。
 
 ここで、次のような例を挙げてみたい。

 X社は電子機器メーカーである。またY社はその子会社で主にソフトウェアの製造業である。昨今の経営情勢からX社の経営陣は、自社グループの商品をよりよくプロモーションすることを強化するような経営施策を出した。Y社はこれまで親会社のX社とは事業領域が異なることから独自で商品のプロモーションや広告を行ってきたが、上記親会社の方針に則り今後はX社の宣伝部と連携することになった。

 A氏は、X社(親会社)の宣伝部に属している。また、B氏はY社の商品企画部門に属している。二人ともこの道20年近いベテラン社員で上司の人望も厚い。
 この度、新しいソフトの製品をリリースする事になったため、B氏はA氏に相談をした。しかしA氏の反応は悪く、「ソフトウェアのコンセプトがいまいち見えない」という理由でプロモーション企画書を差止めた。Y社のこの製品は近日中にセミナーで発表することになっていたためB氏は当惑し理由を求めるのと同時にセミナーの企画やネット上での広告記事は(A氏忠告を無視して)そのまま予定通り進めた。
 二人とも部門ではエース級人材であったため、互いが上司に状況を相談したが、結局はX社の広報部長とY社のマーケティング役員で数度の会談を行うにまで事態は発展した。しかしそれでもなお決着がつかなかったため、最終的にはX社のY社管轄担当役員に指示を仰ぐことになった。結果、『セミナーは実施するも、ネットやマスコミへの商品発表リリースは控え、企画案も再考せよ』という妥協案になってしまった。

 半年後、このソフトウェアの売れ行きは、当初の予測をクリアできず、販売政策の見直しを余儀なくされている。原因は、中途半端なプロモーションがもとで顧客への訴求が不十分であったことが、代理店に実施したアンケートで明確になった。経営陣はさらに原因追究するように指示を出した...
 
 A氏もB氏も、社内では「エース級」であるが故に異動経験がなく、どちらも相手の立場を経験したことはない。自らの「顧客はこう思うはず」という専門家意識に囚われ、最終的には互いに理解しあえないまま業績にも影響している。これを「組織の壁」として理論付けして片付けてしまうことは簡単かもしれないが、それでは何の解決にも至らない。

 問題は、互いが相手の立場を理解しながらゴール(ここでは製品のリリースの成功)に向かうことができず、自らの専門性に固執したことに起因する。
 互いの主張の真意(→つまり宣伝や商品企画がそれぞれ顧客とどう向き合っているか)を理解しようとしたか、あるいはそれができたかが重要になる。
 なぜ、お互いがお互いを理解し合えないのであろう。

 ・一つの職種に長く所属していることが、多様な価値観を認めなくなってしまった。
 ・そもそも彼らはエース級人材(マネージャー候補)と周りから認知されていたため異動はなかった。
 ・自部門のエースの主張のため、上司と言えども説得と解決に導けず事態が悪化した。

 上記には、X社の全社的な人事部門や方針は全く出てこないが、人材の考え方、組織のあり方、に強く起因した問題である。
 上記担当者の片方が、もしも新人や若手だったらどうだろう。おそらくはもう片方であるベテラン社員にリードされる形で、多少いろいろあってもリリースには原案よりもベターな形でプロモーションできたかもしれない。

 ではもっともベストの形は何か?

 A氏、B氏が、お互いの職務を経験させる施策を継続することで、社内に協力する風土を生むことである。自分の経験が大事なものなら、それを今担当している人や部門にも一定の理解と敬意があるのが普通である。片方だけではなく互いがそうならば、さらに相互理解は早い。それによってさらにより良い商品企画やプロモーション手法を開発することも可能になるだろう。
 
 個人を異動させず、『専門化』というもっともらしい理由で、特定職務に長期間着手させることは、結局は組織のためにはならない。これを人材の“塩漬け”という。“塩漬け”は成果が出ないため、専門家としての実績も最終的には積むことができない。言葉を選ばずに言えば、専門職育成のために特定部門に縛り付けるような人事施策は、個人の怠慢と組織の長及び人事部門が目先の利益やエゴに固執した「施策の罠」といえる。

 
 社内のボランティア的な働き方や、プロボノなどの活動は、こうした「罠」から個人を解放する一つの方法なのかもしれないと思う。