社会人2.0

 ここ最近、働く人たちにとって大きなうねりのようなものがあると感じる。ちょっとした“ソーシャル”ブームと言ってもいいかもしれない。

 「ソーシャル」といえば、一昔前はSNS等のソーシャルメディアをさしていた。今も、もちろんこうしたメディアはさらに隆盛しつつも、よりリアルな活動をソーシャルと呼ぶことが増えてきている。
 例えば、私自身が昨年より参加している二つの活動、プロボノやワールドカフェ等の場も、社会に対する「貢献」の程度の違いこそあれ、ソーシャルな活動といえると思っている。そこで出会う人々は、現役企業人はもとより、元コンサルタントや元大手企業社員で今はNPOの理事や事務局という人も多い。
 さらに最近は、ある程度年数を勤めた企業人のみならず、若手社員から退職後のボランティアまで増加傾向にあるように思う。若者の雇用難が叫ばれる中、NPOなどに就職したり社会起業を志す者も多いと聞く(その是非は別としても)。

 こうした傾向がなぜ今生まれてきたのだろうか?

 もちろん、一つにはリーマンショックにおける現在の資本主義に対するアンチテーゼみたいな風潮がこうした動きを加速させたことは否めない。またそれより以前から米国のMBA出身者がコンサルや金融業界で一定期間務めた後、社会起業を志し、NPOを作ることがちょっとしたブームになっていたということも関係するかもしれない。日本を見てみれば、企業の組織風土の悪化やモチベーションの低下、デフレ経済による社会問題(例えば、過重労働や心の病等)なんかも、現役の企業人に関係する社会性のあるテーマだったと思う。
 その昔、「ボランティア」といえば、障害を持つ人や海外の発展途上国支援というのが定番だったが、最近はもっと身近なテーマに社会問題がフォーカスしてきているように感じる。
 
 いずれにせよ、最近の非常に興味深い傾向として、現役の企業人が今の企業に勤めながら、新しい社会との関係性を模索し始めるような活動が増えたということが挙げられる。

 昔、企業は(少なくとも戦後の日本では)社会にとってモノやサービスを提供することで社会に便益を生み出す、つまり「社会善の提供」を目的とし、企業もその認識が強かった。事実、新しい商品を次々に開発するだけでなく、世界一の品質にこだわる経営姿勢も、こうした『社会善』が根底にあったように思っている。

 その証拠に、日本では学校を卒業して企業に勤めることを、「社会人になる」という。社会に善を提供する「企業」の一員になることで社会に貢献する一員になるという意味であろうと私自身は理解している。
 
 ところが今は、企業側に社会的意識が減ったのか、あるいはそういう風潮がなくなったのかわからないが、企業に勤めることが社会に果たして貢献しているのか、ちょっと怪しく感じられるようになってきたのではなかろうか?
 もちろん、今でも「社会人になる」という言い方はあるが、現実的に企業マンは多忙であり、その多くは細分化された業務領域の中で、経営ビジョンや理念などに携わることは少なく、あるいはすばらしい理念と目の前の成果主義との両立など、より難しい課題を与えられている。自分が働くことで家族は養っているが、世の中の役に立っていると実感できる機会はむしろ減ってきているのかもしれない。

 こうした背景から、一部の企業人が今の企業に勤めながら、あるいは「食う」仕事を別にきちんと持ちながら、ソーシャルな活動に参画するケースが増えてつつある。
 企業に務める社員間のつながりを求めたり、プロボノでのNPOベンチャーなどへの貢献、IT系の新しい懇親会イベント、等、この2年でかなり増えてきている。

 このムーブメントは、全体的には奨励するべきと思っている。企業に勤める「社会人」が、自社に篭ることなく、また自社の業務と両立しながらも新しい「社会性」を構築したり、もっと具体的にNPOベンチャー企業を支援することなどは、これまでの社会人とは少し異なった“社会人像”ということが出来るかもしれない。本来は企業がもっと社会性に目を向けた事業理念を持つべきかもしれないが、自立した個人がこのような社会貢献を意識し始めることがきっと明るい未来を構築し、やがては企業をも動かすことが出来るのではないだろうか。

 自分はまだまだこうした新しい社会人像の駆け出しではあるが、先陣を切っている諸先輩の方々に敬意を表して、こうしたソーシャル性を持った企業人や団体の人たちを「社会人2.0」(笑)とお呼びしたい。

 そういう意味で、自分もようやく「社会人」デビューしたなと思う。遅いけど(苦笑)。