リーダーシップの要素

 リーダーシップが不足しているといわれて久しい。
政治から、企業、あるいはちょっとしたサークルやPTA,町内会でさえも、リーダーは不在しがちだと言われている。

 リーダーとは一体どのような人物なのであろうか?所属する団体の種類によって、リーダーシップ像は異なるのであろうか?あるいは団体や組織の習熟度によって変わるものなのであろうか?組織の風土によって変化するものなのであろうか...?

 おそらく、その組織や置かれている環境、タスクやミッション、風土や個人の属性、など多くの変数がリーダーシップに影響を与えていることはまず間違いないと思う。

 そんな中でも、以下の特性については、真のあらゆる組織のリーダーに共通する特性ではないかと考える。
 これらは、必要条件ではなく、また充足要件でもない。3つともそろえば理想的であるが、一つしか持っていなくともフォロワーによって支援される場合もあると思う。


◎リーダーシップの要素

「理想や志を常に持ち、ビジョンを描く

 多くのビジネススクールに限らず、経営組織論では、このような性質をリーダーシップと捕らえる傾向が強い。おそらくはスピードが速く変化の激しい経済・社会環境にあって、組織を導く力をこの資質に求めているのだろう。
 ただ、注意したいのは、「ビジョンを描く」というだけなら、実はリーダーのみならず、卓越したフォロワーにもできる作業であるということである。
 「そんな企業や組織ではダメだ!」と言われるかもしれないが、実際には経営者はビジョンを口頭で、曖昧に、思いつきに近い形で、語ることが多い。実際にはこうした「金言」を紡ぎ仕上げるのは参謀としてのチームがやることが多い。さらに言えば、コングロマリット型の企業でなくとも、経営方針から来た事業方針は事業部長や部門長及びそのスタッフが作成している。

 重要なことは、「ビジョンを描く」よりも、理想や志を高く、広く、深く持てるかということである。
これが常に誰より強く持っているなら、「ビジョン」等は誰に描かせても実は大差ない。


「誰からも、学ぶことができる」

 リーダーは時として頑固であり一途であるほうが、皆を引っ張っていきやすいと考えられてる。
しかしこれは、変化が早く、様々な危険や困難が伴う時代や環境にあってはマイナス要因となることが多い。
変化の激しい環境下にあっては、「ベストに固執する」のではなく「絶えず流動的にベターを選択する」ことが実は「ベスト」に近づく道である。そのため、リーダーは誰よりも多くの人から学びを乞うことができなくてはならない。また、リーダーは「人」から学ぶだけでなく、文献や環境、経験からも学ぶことができなくてはならない。
 よく、リーダーはメンバーの中で一番経験の多い者が担うことが多いが、これはあながち間違いではない。しかし単に年齢や経験数だけではなく、他人の失敗や自分の少ない失敗からでも多くの内省ができることが、リーダーの資質に欠かせない。


「フォロワーを愛している

 リーダーは、フォロワーなくしては存在しない。
 リーダーはフォロワーに愛されることが必要であると思われがちであるが、これは順序が逆である。
 真のリーダーは、生まれながらのリーダーでも、誰かその上位の者が決めたわけでもなく、それはフォロワーによって選出されるのが妥当である。つまりリーダーはフォロワーが生み出すもの、といえる。神が人間を創造したならば、神はリーダーではなくフォロワーであり、人こそがリーダーということになる。
 このようにして選出されたリーダーは、フォロワーを愛する。フォロワーへの愛がなければ、組織への献身は生まれず、結果として理想や志を高く持つこともないであろう。


 いささか極論じみてはいるが、おそらくこの三つの要素こそが、リーダーシップの要素なのではないかと考えている。もちろん、様々な環境や条件などの「変数」によって、リーダーシップの要素は無数にあると考えられる。しかしいずれの場合でも、上記の三つが欠ければ、そのリーダーシップは本物ではないか、長続きしないものではないかと思う。