生きるための経営

 昨日、某所にて、ある中小企業より私の勤める会社に対し提案を受けていた事業譲渡の件で、同社の会長とミーティングをした。

 当社は譲渡を受ける側であるが、正直、譲渡を受けるべきかはかなり迷っていた。当社は一応、上場企業の子会社のIT事業会社であり、プロダクトの品質や獲得できる可能性のある販売市場がブランドや事業規模に合うものでなければ、安易な事業譲渡には応じることはできない。(大手企業というのはそれなりにプライドが高いものである。)一般的にも、事業の統合を図る(買収やジョイントベンチャーなど)ケースでは、「新技術」「新販路」のいずれか又は両方がなければ事業の統合が成功する可能性が低くなるし、統合リスクと交渉にも支障が出る。
 
 ちなみに、事業統合やM&Aは結婚に近いと思う。お互いに合う部分と補填し合う部分があり、そこから新しい可能性(結婚の場合には家庭かな)が見出すことができないのなら、長続きしないリスクを伴う。事業を譲渡するということは、譲渡先に嫁入り(婿入り)するようなものともいえる。

 そんなわけで、当社の厳しい基準にこの事業もフィットすることが難しく、このミーティング自体、先方の譲渡の申し入れを「お断り」する内容で社内調整を整え、最終説明資料を自分自身でアレンジして説明にあたることになった。理路整然と当社が譲渡を受け入れない理由を纏めて整理した。

 自分はあまりそういう経験がないのだが、ちょうど「付き合って欲しい」といわれる異性に「お断り」するような、なんとも後ろめたい、でもそういわざるを得ないような、そんな気持ちである。こういうときには、誠心誠意を尽くしつつも、こちらの主張はきちんと伝えたほうが良い。いいものは良いがダメなものはだめ、欲しいものは欲しいけどいらないものはいらない、という事を漏れなく誤解ないように伝える。曖昧は誠意に反するのである。
 
 私は、淡々とそれでいて丁寧に一つ一つを説明するように心がけた。
 先方は私の話を黙って聞き入れた上で、「○○ではだめか?」「××の可能性はないか?」をかなり聞いてくる。普段穏やかな会長であるが、いろんな方法を次から次に申し入れてくる。
 元々、断るつもりだったから、自分としても否定的に“対処”していたが、どうも先方の様子が違う。かなり「自虐的」な提案もしてくる。そんな条件でも買って欲しいということなのか?同社はすでに複数の会社と事業提携の交渉を進めており、そのことは知ってはいたが、別の会社が提示している条件もずいぶん込み入った部分までこちらに伝えてくる。
 こちらの出方を見ているのか?少しでも条件を上げようとしているのか?いやいや、そんな手には乗るまい。返す言葉は想定の範囲だ。
 
 ところが、何度か問答をしているうちに、会長と自分の話の内容の違いにハッとさせたれた。
 
 自分はあくまで「ビジネス」として話し、しかも少々腰が引け気味で話している。一方の会長は、借金や社員の人生、果ては顧客に払う可能性のある損害賠償や自分がこれまで資本金の十倍以上の投資をしてきて、回収できなければ破産状態にある、なども含めて、ギリギリの線で話している。そんな風に聞こえてこなかったのは彼の人柄の穏やかさから来ているだけである。相手の立場になってみると、相当に切羽詰っていることがだんだん分かってきたのである。
 
 結局、当初はこれっきりで断るつもりで出向いたこのミーティングは、会長からの新しい案について、再度検討する事を約束し、小一時間ほどで済んでしまった...

 こちらが先方に提示する話の内容は、筋の通った理論的なものであった。手前味噌かもしれないが、きちんと戦略方向性まで検討した買収プランはこれまで自社では明確ではなかったと思う。筋の通らない話では事業統合など考えられるものではない。
 
 しかし、経営は理論ではない。
 
 生きるために経営している彼らのために、我々が再考できる部分がまだあるのではないか?そもそも自分は何のために経営を学んできて、また当社は「中小企業をITで支援する」経営理念を掲げているが、単に親会社の大企業の論理に縛られているだけで、本当に中小企業の実態を理解しようと思っているのか?
 ここで、結論を出すのは簡単かもしれないし、企業人としては余計な交渉を長引かせないように交渉を打ち切った方が正しかったかも知れない。

 しかし、

 生きるための経営に、せめてもう一度何か考えることができないか、そこにチャレンジすべきではないかと気づかされた。私は中小・ベンチャー企業向けに経営診断を行うこともボランティアではあるがスタートしている。

 生存のための経営に答えられないようでは、中小・ベンチャー企業に真摯に向き合うことなどできないのかもしれない。

 全ての関係者がハッピーになるようなアイディアなど、実はないかもしれない。しかしどちらかの事情に安易に流されることは職業人としてイカしていない。考え抜く時間を今一度持ち、もう一度会長に会うつもりである。