事業の目標数字は何故達成しないのか?

 事業会社の経営企画を担当していると、「当期の目標数字について策定する」「前期の目標がどのくらい未達だったか」等という議論がよくされる。目標数値は所謂、「右肩上がり」(→順調に伸びているケース)か、「Ⅴ字回復」(→業績不振のケース)か、しか計画することは経営者より認められないことが多い。

 残念なことに、これらの数値目標は「絵に書いた餅」になることが多く、そもそも社員自体も経営自体も、達成しないことについて激怒したり修羅場になることはあるのに内省(結果について、主観と客観も含め、十分にその原因を突き止めること)は面白いほど行わない。それよりも、当期の戦略推進にどうしても力点が置かれる。

 これを繰り返す事によって、数字に責任を持つマネージャーは苛立ち、自尊心を傷つけられたり、または目標に対するコミットメントが低下してしまい、経営企画部門が書面上で作成する数字目標を「どうせ出来ない」と知りつつ受け入れるようになる。
 こうして、(売上や利益の)目標数値という“餅”が描かれる。数字という足かせをはめられてしまうのである。

 この虚しさを語る前に、我々は本来どのようなことに目標を立て、内省をするのかを考えてみる必要がある。

 例えば、国家資格を受験する事を考えてみる。大学の受験でも良いかも。

 受験には、『合格』という目標があり、それには大よそ何点/何割とるべきか、或いは偏差値などの数字がある。受験の途中ではこの「数字」が気になるときもあるが、最終的には『合格』することが目標である。通常この『合格』には、個人がものすごく執着するものである。私事で恐縮だが、「執着」しなかった試験には大学であろうと国家資格であろうとことごとく不合格だったものである。(「執着」してもダメなものがたくさんあったが、どうでもいいや、で合格したものは一つもない。)
 
 執着があれば、行動計画は自分で作成するし、途中のマイルストーンも自分でそれなりに描く。そして、マイルストーンや実際の本番試験がダメだった時には、「何故ダメだったのか?」を真剣に悩むものである。
 これは、試験に限らず、スポーツでも芸術でも趣味でも、達成意欲が沸くモノであればあるほど、人は「内省」を行う。

 つまり、真剣な「内省」は、個人的な強い「達成意欲」から生まれるに他ならない。

 
 この視点で、事業の計画値や目標値を見たときに、数字において、人はどの程度の達成意欲を沸くのだろうと思ってしまう。
 「対前年20%アップ!」「利益率3%向上!!」等の数値目標が、人間の達成意欲をどれだけ刺激するというのであろうか?しかもそれは毎年上昇することだけを望まれるのである。
 
 もしも、事業計画と実績の差が出た時に、組織的な「内省」のプロセスが組み込まれていないのであれば、それは最初の目標数字設定が達成意欲を伴わないものであると言うことができる。乱暴な言い方をすれば、数値目標に固執する経営者は単に株主のご機嫌や自己の報酬のみを求めて居るに過ぎない。そのような経営に対して社員が達成意欲を持つはずもなく、したがって「内省」もない。
 ただただ、数字による圧迫がそこには存在するのである。

 数字以上の達成意欲を持てる、「事業目標」が実は必要なのである。