「9割は課長にさえなれません」

 先日、城繁幸氏の「7割は課長にさえなれません」を読んだ。

 内容は、今の年功序列の制度又は組織風土は、単にロスジェネ世代
や今後の若手だけでなく、“年功”であるはずの中高年やバブル世代、
女性等にも影響が大きく、「百害あって一利なし」の様相を呈しているこ
と、そのためには、年功序列と終身雇用を廃止し、職務給を導入したり、
雇用流動化を促進することが必要とする、等が論旨だった。
 
 正直、タイトルは衝撃的なように見えますが、実は数字はまだ甘い。
 勤めている会社でも、もはや今課長でない世代にとっては、7割どころか9割は課長になれそうにない。
(“課長”になりたいかどうかはこの際別として、苦笑)
  
 筆者はコンサルタントとして活動し、マクロや政治面での影響を及ぼし
たいと考えているようにも見えますが、ここでは、ミクロの観点で考えて
見たい。


 筆者の言われるとおりの労働環境の変革を想定してみる。
 
年功序列がなくなる(→年齢が高い人が偉いとは限らない)、
・雇用の流動化(→転職もフリー)、
・職務給(職務の内容とその出来によって給与が決定)、
 
という状況が「会社の中にある」ことになればどうなるか?
 
 簡単に言えば、自分のキャリアを自分で設定する時代が来る、企業
が経営戦略やロードマップを描くように、自身が自己の成長を計画する
時代が来るのではないだろうか?
 
 ある人事系コンサルティング会社の社長が、「自分株式会社」という
構想をwebや執筆などで書いている。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080326/151297/
https://www.blwisdom.com/vp/motivation/07/

 私はこの考えが、今後、会社員が「ヒエラルキーの中の“軍人”」ではなく、「都市の中の“ナレッジワーカー”」となるヒントがあるようにも思える。
 ドラッカーの言うところのナレッジワーカーの出発点は、おそらく「何によって覚えられたいか」ではないだろうか。
 それは言い換えれば、自分は何の専門家と名乗れるのか、ということになると思う。
  
 これは、「自分の肩書きは自分で作る」という発想であり、自分株式
会社の理論で言えば、まさに企業名を作ること、に他ならない。
 自分自身をどのように名乗るのか、ということは企業で言えば、会社
名を決め、登記することに同義である。
 
 フューチャーセンター(FC)という新しい未来構想を考えるファシリテーションを広めようとしているKDI(富士ゼロックス)というチームがあり、私もFCに参加させていただいているのだが、ここの社員は皆、ユニークな“肩書き”を持っている。
 
例えば、
・Next Graffitist (次の新しいモノを描く人)
・Knowledge Torchbearer (知のたいまつをともす人)
・Sexy-work Stylist (粋な仕事の仕方を提案する人)
 
 これらの“肩書き”は、メンバー全員が自身で設定しなくてはならない
ルールだそうだ。
(私のB.I.Mash Upperも実はこれに触発されました。)
 
 ここまで、ユニークではなくとも、自分の仕事が何で、どのようにあり
たいかを「肩書き」で語ることはとても自立的だと思う。
 一般的な役職名(係長、課長、部長、等)は、「私はヒエラルキー
どの辺に位置させられていますよ」と言っているだけで、依存的ともいえる。(二等兵とか軍曹とかと同じように聞こえます)それなのに役職がまだモチベーションを上げる道具に使われている現実があることに残念に思えてくる。
 
 考えてみ見れば、「9割は課長にさえなれない」のである。城氏的にも
7割。多くの社員が名無しの権兵衛でいることが良いか悪いかは別としても、少なくとも、「自分は何の専門家」が名乗れないのは、ナレッジワーカーとしては不満足であろう。
  
 こんなことを書くと、一般の会社員の人(自分もそうなんだけど)「そんな大そうな名前なんて名乗れないよ、別段、何かの専門家でもないし」と思われるかもしれない。
 
 一昨日、私は若手の企業家が集まるBRIDGE 2010に参加した。
ある、社長は、06年に学生で起業して、そのまま社長になったんで、
サラリーマンの経験がないといっていた。誰よりもプログラミングを愛している、と言っており、好感が持てた。
 多分、社会人ビジネスマンとしては、私は彼より1枚も2枚も上手かもしれない。
 しかし名刺交換したら、「代表取締役社長 最高経営責任者」とある(当たり前か。)。肩書きは私から見れば“天上界”の人である。 (笑)
しかしそこに立っているのはどう見てもプログラム大好きな若者。
 
 
 名前を名乗るのは、そういう資格があるとかないとかの以前の問題ではないかと思っている。
 
 考えてみれば、名前は普通は「先につけるもの」である。物心ついても
尚(自分に何が出来るかわからないから)名前をつけてもらえないないって人はいない。
 こうなって欲しい、こうなりたい、という希望から名前は始まる。
社名だってある意味同じ。ならば肩書きだってそれで良い。
(能力を公的に証明したいのであれば、公的資格を取ればよいのである。)


 9割は課長にはなれない
 
 ならば、
 
 自分の肩書きは自分で作るのが良い。
 
 それを名刺に刷り込んだり、名札につけることで、社員のモチベー
ションは上がり、コミュニケーションも活発化する。
自分の知らないジャンルの専門家と分かれば、相手への尊敬の念も生まれるかも知れないし、もっと企業内のコラボレーションも盛んになるかもしれない。
 
 サラリーマンでも、自分の肩書きは自分で作る時代なのかもしれない。
ナレッジワーカーの作法ともいえるのかな...